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グッドボーイにさよならを
人に見られる事には慣れている。慣れているからこそ、誰かに見られていたらすぐに気付く。
鼻歌をうたいながら食器を洗っていた。水は冷たいけれど、こういう作業がわたしは嫌いではなかったし、それに今日は意味もなく気分が良かった。
ふと、窓の外。夜の下から誰かがこちらを見ている事に気付いて、けれど気づいた事が相手にバレないようにしながら、わたしは様子を伺う。
そこにいたのは、見覚えのある青年だった。幼馴染の知り合いで、前に何度か話をした事がある。名前は、確かイブキと言ったか。
常に黒装束を身にまとい、奇妙な口調で喋る変わった男だった。
存外見えやすい場所にいたので、相手は恐らく私が気付いている事を察したかもしれない。けれど、わたしは知らんぷりを続けているし、相手も同じく知らんぷりをしてくれている。
少しだけ声をかけようかどうか迷ったのは、相手がどこか思いつめたような表情をしていたからだった。何があったかは分からない。辛い事があったのかもしれないし、辛い事がこれから起こるのかもしれない。
彼は人より少しだけ物知りだ、とわたしの幼馴染が語っていた事を思い出す。だとすれば、彼は何か悲しい事を知ってしまったのかもしれない。
前に会った時は確か口を覆っていたマスクを、男は今は下ろしている。外気に晒されている彼の口元が動き、何か言葉を紡ぐのをわたしは見た。
声はここまでは届かないけれど、口の動きから何を言ったのかは想像がつく。布巾で皿を拭きながらも、わたしは彼の言葉の意味について考える。
次に窓を見た時にはすでに、男はそこからいなくなっていた。何故彼がわたしにあんな事を言ったのか、その理由は皆目見当もつかなかった。
◆
勇者様が亡くなったらしい。
という話を、わたしはその数日後、風の噂で聞いた。
一瞬ポカンとしてしまったけれど、噂は所詮噂だ。「またまたー」と笑って、周りからの好奇な視線を蹴りながら、家へと帰る。
お昼はいったい何を食べよう。のんきなお日様の下、のんきにそんな事を考える。いつも通りの十二時半。
家について、ホッと一息。ああ、そういえばまだお昼に何を作るか決めていなかった。
そこでようやく、例の噂話を思い出して、ちょっと笑う。なんて、笑ったら本人に怒られるかもしれない。
ひどい冗談を聞いてしまった。今度会った時に、面白おかしく話してやろう。「ビックリしたんだから、責任とってよー」って言ったら、どんな顔をするだろうか。
多分、凄い困った顔をして、慌てて謝ってくるんだろうな。「俺は何をすればいい?」とか、大真面目な顔をして聞いてきて、わたしがどんなワガママを言っても頑張ろうとしてくれるんだろうな。
優しい、わたしの勇者さま。
全く、嫌な噂だ。死ぬはずがないだろう。天下の勇者様が、こんなあっさり。
――だって、わたし、いってらっしゃいって言った。
彼が村を出ていく時に、いってらっしゃいと言った。そうして、彼は、いってきますと返した。
いってきますと言った人が、ただいまと言って帰ってこないだなんて、そんな馬鹿な話があってたまるか。
――馬鹿なのはわたしだった。馬鹿でいたかったのも、わたしだった。
本当に、その時までわたしは所詮噂は噂だと、本当に、彼が死ぬはずはないと思い込んでいたのだ。信じ込んでいた。彼が他の人達から信じられているのとは別の意味で、わたしは彼を信じていた。
信じてるんだよ。
思い出さなければ良かったのに。わたしはどうしてか、数日前にわたしを見ていた青年の事を思い出した。
その瞬間、急に力が抜けた。床に座り込む。お昼ご飯の支度をしなきゃ。立てない。
立てない。立てない。立てない。
思い出せなければ良かった。手が震える。ご飯の支度をしなきゃ。ご飯の支度をして、それから、
それから、どうするのだろう。
人より少し物知り。思いつめた表情をしていた。珍しく男はマスクをはずしていて、わたしは鼻歌を歌っている。
勇者様が亡くなったらしい。わたしは、噂話でそれを聞く。ただの噂話。人から人に渡されるたびに、尾ひれがどんどんついていく。
所詮噂で、彼が死ぬわけない。彼はわたしに、「いってきます」、と。わたしの好きな顔で笑って。
けれど、あの夜あの男は確かに、わたしに「ごめん」と言ったのだ。
鼻歌をうたいながら食器を洗っていた。水は冷たいけれど、こういう作業がわたしは嫌いではなかったし、それに今日は意味もなく気分が良かった。
ふと、窓の外。夜の下から誰かがこちらを見ている事に気付いて、けれど気づいた事が相手にバレないようにしながら、わたしは様子を伺う。
そこにいたのは、見覚えのある青年だった。幼馴染の知り合いで、前に何度か話をした事がある。名前は、確かイブキと言ったか。
常に黒装束を身にまとい、奇妙な口調で喋る変わった男だった。
存外見えやすい場所にいたので、相手は恐らく私が気付いている事を察したかもしれない。けれど、わたしは知らんぷりを続けているし、相手も同じく知らんぷりをしてくれている。
少しだけ声をかけようかどうか迷ったのは、相手がどこか思いつめたような表情をしていたからだった。何があったかは分からない。辛い事があったのかもしれないし、辛い事がこれから起こるのかもしれない。
彼は人より少しだけ物知りだ、とわたしの幼馴染が語っていた事を思い出す。だとすれば、彼は何か悲しい事を知ってしまったのかもしれない。
前に会った時は確か口を覆っていたマスクを、男は今は下ろしている。外気に晒されている彼の口元が動き、何か言葉を紡ぐのをわたしは見た。
声はここまでは届かないけれど、口の動きから何を言ったのかは想像がつく。布巾で皿を拭きながらも、わたしは彼の言葉の意味について考える。
次に窓を見た時にはすでに、男はそこからいなくなっていた。何故彼がわたしにあんな事を言ったのか、その理由は皆目見当もつかなかった。
◆
勇者様が亡くなったらしい。
という話を、わたしはその数日後、風の噂で聞いた。
一瞬ポカンとしてしまったけれど、噂は所詮噂だ。「またまたー」と笑って、周りからの好奇な視線を蹴りながら、家へと帰る。
お昼はいったい何を食べよう。のんきなお日様の下、のんきにそんな事を考える。いつも通りの十二時半。
家について、ホッと一息。ああ、そういえばまだお昼に何を作るか決めていなかった。
そこでようやく、例の噂話を思い出して、ちょっと笑う。なんて、笑ったら本人に怒られるかもしれない。
ひどい冗談を聞いてしまった。今度会った時に、面白おかしく話してやろう。「ビックリしたんだから、責任とってよー」って言ったら、どんな顔をするだろうか。
多分、凄い困った顔をして、慌てて謝ってくるんだろうな。「俺は何をすればいい?」とか、大真面目な顔をして聞いてきて、わたしがどんなワガママを言っても頑張ろうとしてくれるんだろうな。
優しい、わたしの勇者さま。
全く、嫌な噂だ。死ぬはずがないだろう。天下の勇者様が、こんなあっさり。
――だって、わたし、いってらっしゃいって言った。
彼が村を出ていく時に、いってらっしゃいと言った。そうして、彼は、いってきますと返した。
いってきますと言った人が、ただいまと言って帰ってこないだなんて、そんな馬鹿な話があってたまるか。
――馬鹿なのはわたしだった。馬鹿でいたかったのも、わたしだった。
本当に、その時までわたしは所詮噂は噂だと、本当に、彼が死ぬはずはないと思い込んでいたのだ。信じ込んでいた。彼が他の人達から信じられているのとは別の意味で、わたしは彼を信じていた。
信じてるんだよ。
思い出さなければ良かったのに。わたしはどうしてか、数日前にわたしを見ていた青年の事を思い出した。
その瞬間、急に力が抜けた。床に座り込む。お昼ご飯の支度をしなきゃ。立てない。
立てない。立てない。立てない。
思い出せなければ良かった。手が震える。ご飯の支度をしなきゃ。ご飯の支度をして、それから、
それから、どうするのだろう。
人より少し物知り。思いつめた表情をしていた。珍しく男はマスクをはずしていて、わたしは鼻歌を歌っている。
勇者様が亡くなったらしい。わたしは、噂話でそれを聞く。ただの噂話。人から人に渡されるたびに、尾ひれがどんどんついていく。
所詮噂で、彼が死ぬわけない。彼はわたしに、「いってきます」、と。わたしの好きな顔で笑って。
けれど、あの夜あの男は確かに、わたしに「ごめん」と言ったのだ。
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